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那智の滝   (2006.7.30)

那智の滝写真集   基本情報   アクセス

 よく晴れた休みの日の午後二時に、ふとドライブに出かけてみた。行き先は家を出発する時点では決めていなかったのだが、家を出て5分程走ってからすぐに決まった。那智の滝を見に行こう。
 那智の滝といえば日本で最大の高低差がある滝として知られ、その周辺には 熊野那智大社などもあり2004年に世界遺産に登録されている。 熊野那智大社 そもそも那智の滝の周辺は 西国三十三所 の第一番札所である那智山青岸渡寺があることでも古くから栄えた。近年では那智の滝が世界遺産に登録され観光客でも賑わいを見せている。
 僕が和歌山市を出発したのが午後二時で、那智の滝に到着したのが午後六時だった。早く到着しないと日が暮れてしまうと思い、高速道路を通り最短距離で最速で走ったつもりだったのだが、4時間もかかってしまった。午後六時に到着した僕はとりあえず車を駐車場に止めて那智の滝を見に行った。 七月の終わりだったとはいえ、なぜかあたりは少し薄暗くて少し気味が悪かったのを覚えている。
滝つぼまでは石畳の道と階段を通っていくのだが、その途中の道の脇には色々な石碑が建てられていて、そこには有名な歌人の詩や漢文などが彫られていた。そういったものを眺めながら、未知の世界へと足を進めているような感覚が僕を覆い包んだ。そして、階段を下りたところは少し開けた場所があって、その場所から那智の滝を下方より眺めることができた。滝というものは水量が多ければ多いほど豪快で見た目にも威圧感を感じるものだが、この日の那智の滝の水量は少しすくなかったのだろう、イメージしていたそれとは少し違っていた。それでも、日ごろ滝というものに馴染みのない僕からすれば、それはやはり偉大なものだった。この流れははるか昔から絶えず流れ、絶えず人々を魅了し神秘的な空間を作り出しているのだ。そうして、滝つぼを時間が過ぎるのを忘れ眺めていた。
 そして、滝つぼを満喫した僕は周辺を少し散歩してみることにした。滝つぼまでの石畳の道と階段を戻って、車道に出た僕はその道をそのまままっすぐに5分程進み、右手に石の階段のあるところまで歩いた。その階段の上り口のところには何かが書かれていたのだが、忘れてしまった。まぁ、それはいいとして、その階段は熊野那智大社まで続く階段だったのだが、その両脇にはお店がぎっしりと並んでいた。僕がそこを通った時には時間も遅かったのであいているお店はひとつもなかったので、閑散として物寂しい雰囲気を醸し出していた。その物寂しい道と階段を10分ほど歩くと熊野那智大社に到着した。特に何かの信仰を僕は持っているわけではないのだが、こういうお寺の雰囲気というものは独特な風情があり昔から好きだった。少しの間広場で写真を撮ったり風景を眺めてすごしていたのだが、そこに大きな樟の木が生えていた。 なんでも、樹齢は800年で樹高は27mに達し、幹周りは8.5mにも及ぶらしい。県内でも珍しいほどのこの樟の大木はこの地を800年間も見守り続け、時代の変遷を目の当たりにしてきたのだろう。こういう大樹をみると時間の経過を一層引き出し、その空間自体をはるか昔へといざなうように感じる。
 そうこうして、とりあえず一週してみると、ふと見晴らしのいい場所にベンチがおいてあったので煙草をふかすことにした。そうして、はるか昔からさほど変わらないであろう景色をながめながら、かつての風景を思い浮かべてみた。

 車も電車もバスもないような時代に、己の足のみでこの地を目指しさらに先を目指した人々は、どのような心境で己の足を一歩一歩進めていたのだろうか。現代に生活する僕にとってはここまで来ることになんの抵抗もないし、時間をかけることもない。一度旅に出たとしたら今後故郷へは帰ることができないだろうと想像できても、それでも旅立ち孤独に何かを見つめて歩を進める理由はなんだたのだろうか。今でこそ、日本という国は「無宗教」を名乗る人々が大半を占めているが、昔は宗教大国だったのではないだろうかと思ってしまう。宗教大国という言い方は変な言い方かもしれないが、そもそも「昔」という時代自体が「宗教」と密接に関わることで発展してきたのだと考えれば、昔の「宗教」というものは、今で言う「科学」と同じようなものなのだろうか。そもそも「昔」と「今」を関連付けること自体が馬鹿げたことなのだろうか。「昔」を知るすべのない現代人にとってはただ想像あるのみだ。ただ、一つ言いたいのは、時代が変わり人々の価値観さえも変化してゆくが、その中で変わらないもの、普遍的なものとは人々の中にこそあるのだと信じている。