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2007年11月25日  『橋杭橋』

 先日、よく晴れた日に友人とドライブに出かけた。目的地は「瀞峡(どろきょう)」だったのだが、その道中に「橋杭橋」という奇妙な形をした岩があった。
 和歌山に生まれ育って、車の免許を取ってからはちょこちょここの辺にはドライブにきていたので、今さら新発見などとタカをくくっていた僕はこの岩を見て驚いた。人造物のようにきれいに一直線にならんだ奇妙な岩石群。なにやら言い伝えによると弘法大師(空海)がからんでいるらしい。その辺をこれから調べていくことにしよう。

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2007年11月14日  『家族』

 今、気持が少し高ぶっている。何故かと言えば、酔っ払っているからだろうか。にしても、今日父親とじっくりお酒を飲みながら話をし、いろいろな会話をしたわけだが、忘れないうちに書き留めておきたい、と思う。
僕の父親は優しい。それも表面的にではなく、対照的な表現で言えば、内面的に優しい。ただ、その優しさは今になって理解することができ、これからさきの僕の人生の教訓になる。子供は父親の背中を見て育つ、か…。よく言ったものだなぁ

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2007年7月13日  『デジタル一眼レフ』

 最近、デジタル一眼レフを購入しようかどうかと迷っている。まぁ、デジタル一眼レフと言えば、高価なものだから1年くらいかけて貯金しなければならないのだが、今から迷っている。キャノンなのかニコンなのか?同じメーカーでもこれとあれはどうなのか?と、今すぐ買う気は全くないのに、電気屋で今にも買いそうなお客さんのように店員に質問しまくっている。まあ、だいたいこれかな?っていう機種はあるのだが、まだ実物をさわったことがないのがネックである。というのも和歌山にはおいているところがないのだ。

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2006年11月12日  『約1名』

 先日父親が酔っ払って帰ったきたときに、子犬を連れて帰ってきた。まぁ、飲みにいって帰ってくるときに持って帰ってくるものといえば、お寿司とかお土産と決まっているのだが、父親が持って帰ってきたのは「犬」だった。母親は次の日の朝から「かわいかったからつれて帰ってきた。なんて、子供じゃあるまいし!」と激怒していた。
 とにかく、僕としてはこれから家族の一員として頑張っていってもらいたいと願うばかりだ。

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2006年11月7日  『なるほど』

 最近ニュース等でよく取り上げられている問題の一つに「履修漏れ」というのがある。興味のある話題以外は全くといっていいほど無関心で、まして新聞を読むことすらない僕にとっては縁のない話だと思っていた。ところが、何気なく読んでいたあるサイトの記事が、気づかせた。まさに僕自身も「履修漏れ」の一員だったことを。
 僕は高校生活の3年間で学んだ教科は、副教科を除けば「数学」「物理」「化学」「地理」「英語」「国語」のみだ。そのサイトの記事には「世界史」は必須科目であると書いていた。確かに世界史を選択する機会はあったが、理系に進学することを希望していた僕は迷わず「地理」を選び「世界史」を選択することはなかった。確かに振り返って考えてみると僕の知識は偏っている。政治関係は全くといっていいほど知らないし世界史なんてものはもともと縁のない言葉だとしか思っていなかったのだ。
 このままではいけない。単純にそう思った。今の僕は紛れもなく「非常識人」だ。ということで、これから一般教養を勉強していこうと思う。時事問題についてもこのホームページで取り上げ僕なりの見解で感想を書いていきたいと思う。「我廷新聞」開設。

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2006年9月11日  『時代』

 和歌山市から東へ車で約1時間。橋本市高野口町。最近市町村合併で伊都郡高野口町から橋本市高野口町へと住所がかわったのだが、そこに古い小学校がある。「橋本市立高野口小学校」
 少し前に仕事で近くを通りかかったときに偶然発見したのだが、僕の中にあった「小学校」というイメージとはかけ離れていた。学校の敷地の周りは石垣と生垣が張り巡らされ寺か古い豪邸かと間違えてしまいそうになる。そして、校舎は昭和12年築の木造。戦前からの木造建築としては和歌山でも有数というこの大規模な木造の小学校はかつて1,000人もの小学生でにぎわっていたそうだ。現在も実際に校舎として使用されている小学校の校舎は築69年という長い年月を経てより一層その存在感を強めているように感じた。
 車を止めて運動場に入ってみると、そこはもはや「平成」ではなかった。突然景色がセピア色に変化しランニング姿の子供たちがほこりまみれになって追いかけっこをして遊んでいるような風景が脳の中で即座に創り出された。大げさかもしれないが映画でも見ているような感覚だった。
 何故これほど衝撃を受けたのかは自分自身でも正直よくわからない。校舎を眺めたときにところどころ傷んだ箇所があり、その傷の一つ一つに長い時間の経過を感じたし歴史も感じた。もしかすると、ただそれだけのことかもしれない。もしくは、ある意味での戸惑いだったのかもしれない、と感じている。

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2006年7月30日  『一服』

 今、とりあえずの目的を果たした僕は見晴らしのいいところで煙草をふかしている。そこは山々に囲まれた霊場で時間がはるか昔から止まっているかのような神秘的な場所だった。そこで、はるか昔へと思いをめぐらせてみた。
 近代文明の代表的な発明品である車とアスファルトの道路と高速道路を駆使して我が家のある和歌山市からちょうど四時間。熊の古道が通るここ、那智の滝は昔の人々が数多訪れた場所であることは容易に想像できた。己の足のみで、ここまで辿り着き、さらに奥を目指した人々は何を思い、どんな心境で旅をしていたのだろうか。
 時代と共に人々の生活は変化し、価値観さえも変化してゆく。その中で、いつの時代も普遍的であるものとは一体なんなのだろうか…

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2006年6月11日  『季節』

 今、僕の家の周辺は蛙の大合唱により深夜でも賑やかである。
 2週間ほど前から田んぼを耕す風景を見かけるようになり、今では田植えをしている田んぼがほとんどだ。それに伴い蛙たちは寝る間も惜しむかのように絶え間なく鳴き続けている。
 四季というものを感じさせられるとき、その要因はいくつかある。気温であったり、その季節独特の行事であったり、虫の鳴き声であったり…と。僕の実家では夏を感じさせてくれるものは「田んぼ」だ。6月に田を耕し始め、水をはり、中旬から下旬にかけて田植えをする。こんな情景をみかけると、「もうこの季節が来たんだな。夏か」と心で呟く。大阪に4年間ほど住んでいたとき、周辺に田んぼがあるはずもなく、田んぼによる夏の訪れを感じることができなかった。そこでは気温や人々の服装によってしか季節の移ろいを感じることができない。大阪という町が年中無休で年中同じ商品が並ぶ巨大なコンビニエンスストアの様に感じられて仕方なかった。
 都会が嫌いと言うわけではないのだが、やはり四季折々の情景があるのは、風情があっていいものだとしみじみ感じる今日この頃である。

2006年5月31日  『不変』

 僕の家のすぐ裏の空き地にこんな石碑が立っていた。ここには「大衣笠持神社趾」と書かれている。小さい頃よくこの辺の田んぼで遊んでいたがこれに気づいたのはごく最近になってからのことだった。休みの日にデジカメを片手にふと散歩にでかけたときに写真を撮った。そしていろいろと調べてみることにした。そこで、出てきたのは古い地図だった。江戸時代のものらしいのだが、そこにはちゃんと「大衣笠持神社」と書かれていたのだが、驚いたのはその地図は今のそれと大差がなかったことだった。今と同じような形の道が書かれてあったのだ。
 当然ながら僕たちは今の風景しか知らない。「昔」という言葉を聞いて連想するのはせいぜい京都の古い町並みであったり、古いお寺くらいなものだろう。車が走るようになり道も整備され、計画道路のために立ち退き等で道もだいぶかわったことだろう。しかし、それはほんの一部にすぎないということを実感した。
 古きよき時代と、ともすれば「昔」というものはある意味で美化されがちなものだが、変化のスピードの速い時代にこうして昔から変わらないものに触れたとき、なぜかほっとした気がした。

2006年5月26日  『人生』

 ワタミ(株)社長がプロデュースする手帳が少し前にDavinciより発売された。先週の日曜日に大阪の紀伊国屋書店へ行ったとき、何気なくそのパンフレットを手に取りかばんのなかに入れた。
 今、ふとそのパンフレットに目を通していたのだが、その中でこんなことを言っている。
 「夢・目標は仕事、家庭、健康、趣味、教養、財産に基づいて描くべきだ」
 このたった一行のフレーズに僕は感動した。これほど夢・目標というものを簡潔に、かつ的確に捉えた表現はないだろう、と感じたからだ。
 このフレーズを忘れることなく日々生活し、将来を夢見たいと思う。

2006年5月24日  『輪廻』

 最近、「輪廻」という言葉を思い出す。
 高校の地理の授業で輪廻という言葉が出てきた。地形というものは隆起→風化→隆起→…と言う風に繰り返されるということだった。その時の地理の担当の先生が言っていた。「この『輪廻』と言う言葉は実は仏教用語なんです。仏教ではこの言葉を『繰り返し』という意味で使っている。人は生まれ、やがて死ぬ。そして生まれ変わる…」と。
 何故この言葉が思い出されるかというのは、僕自身がこの年齢になり自分の中で両親という存在が、昔からのただの「親」という言葉の範囲を逸脱したからなのだろうと感じている。
 『結婚』という言葉に敏感になり始めた今日この頃。僕の両親もこういう時期を当然経験して今に至っているのだろう。結婚してやがて子供が生まれ紆余曲折を経て、子供も大きくなりちょうど今の僕くらいの年齢になったのが今。
 ある意味で、人はみな親の後を追いかけているのかもしれない、と感じた。

2006年5月10日

 最近、英会話に通い始めた。
 人っていうのはなかなか弱い生き物だ。一人で何かをやるっていうことはなかなかできないし、続かないことが多い。だからこうして塾に通ったり、気の合う友達を作ったりして生きていくのだろうか。
 おじさんが言っていた。「人生60年程生きてきたけど、辛くてしんどいときの方が多かった」と。僕も人生を振り返ったときにそういう感想が言える様になりたいと思う。

2006年4月30日

 今、とりあえずの目的を果たした僕は見晴らしのいいところで煙草をふかしている。そこは山々に囲まれた霊場で時間がはるか昔から止まっているかのような神秘的な場所だった。そこで、はるか昔へと思いをめぐらせてみた。
 近代文明の代表的な発明品である車とアスファルトの道路と高速道路を駆使して我が家のある和歌山市からちょうど四時間。熊の古道が通るここ、那智の滝は昔の人々が数多訪れた場所であることは容易に想像できた。己の足のみで、ここまで辿り着き、さらに奥を目指した人々は何を思い、どんな心境で旅をしていたのだろうか。
 時代と共に人々の生活は変化し、価値観さえも変化してゆく。その中で、いつの時代も普遍的であるものとは一体なんなのだろうか…

2006年3月27日

 今日、大学を退学した。
 僕にとっての大学、それは一体なんだったのだろうか。久しぶりに訪れた大学について感慨深いものや思い出すものは特になかった。感じないようにしていたのかもしれない。未練がない、と言えば嘘になるのかもしれないと人は言うかもしれないが、あるのは両親に対して、である。

2006年3月5日

 先日現在休学中の大学から封筒が送られてきた。復学の手続きをするなら24日までにしてください。手続きをされなかった場合は3月31日をもって退学と致します。ってかかれていた。
復学するか退学するかは、正直すごい悩んだ。というのも、大卒と高卒では選択肢に大きな差があるからだ。こんなこと当初からわかっていたことだが、社会に出て実感として感じるようになった分過去の過ちに気づき始めた。だが、最終的にはやはり当初の予定通り退学することを決心した。決して後ろめたい気持ちで退学を決意したくはないし、ある意味で無駄だったと思いたくもない。今後の課題は日々生活していくなかで大学時代に後れた分をどうやって取り戻すか、だ。
この写真のように、今が始まりと感じている。頑張ろう。

2006年2月12日

 会社の仕事に行った帰りにあまりにもきれいな夕焼けを見た。和歌山に帰ってきてからもうすぐで一年になろうとしている。この一年間は学生から社会人という大きな分岐点であったため沢山の出来事があった。疲れたときなんかにこの写真のような美しい夕焼けをみると得した気分になるし、疲れもなんだかなくなってしまうように感じる。

2005年12月23日

 昨日の夜、あてもなく車を走らせた。どこに行くでもなく、どこかにいきたいわけでもなかった。どことなく今の自分の状況によく似ていた気がする。気がつけば御坊にたどりついていた。そこで、初めて目的地を定めた。海へ行こう。たどり着いたのは、きれいに整備され水平線に漁火が煌々と光る静かな海岸だった。車を止めてライトを消すと普段見上げることのない夜空が待っていた。水平線より少し上にオリオン座が輝いていた。僕は、眠ることにした。

 今、僕が何をすべきなのか、何を知るべきなのか…。絶対に何かあるはず。誰かに教わるわけでもなく、誰かを真似するわけでもない。だからこそ難しいが頑張って”答え”を導き出したい。